父亡き後、母との二人暮らしを構築しているところです。
一人いなくなるだけで、日々のペースが変わるとは思いませんでした。
父がいたことで、私は安心して仕事をしていたのだなと思います。
亡くなる数か月間、父は仕事をしていませんでしたが、それでも父は文字通り大黒柱だったのです。家族が一人欠けると、仕事と生活のバランスが変わってくることに気づかされました。
なんせ、認知症患者と暮らし、仕事をするのです。何度も同じことを聞いてきたり、一人で淋しいと言ってきたりします。私がいるからと言って、何か違うと思えないのですが。
認知症患者さんと一緒にいると、テンプレである「何度も同じことを聞いてくる」に見舞われます。私の場合は、探し物を毎日しています(これもテンプレですね)。
デイサービスに行っている間は、ここぞとばかりに仕事をしておかないと、仕事がこなせなくなくなってしまいます。いくら、家での仕事にあまり理解がなさそうと言えども、母にとって、残念極まりないでしょう。
家族がいると、どうしてもお互い目を配り、面倒をみることは当然かと思います。
お手伝いをすることもあるでしょう。
仕事部屋にあがってきて、死にそうな顔で1時間に1回は同じことを聞かれて答えるのも、仕事のための時間を削って探し物に付き合うのも、結構疲れるものです。
毎日がこんな具合ですから、ああ、どうしたものかと思いましたが、仕事を辞めずに(いわゆる介護離職ですね)、母と暮らすためにどうやっていけるか、私なりに考えてみました。
・仕事への向き合い方を少し変えてみる。仕事を少しの空き時間でもやってみるようにする。
・1日の最低件数を目安として決める。ゆるめに決めておけば、達成感と共にイライラしなくなるかもしれない。
・淋しい思いをさせないように、時々階下に降りて、様子を見る。時には少し話す。
・クラウドソーシングはタスク専門にして、1件でもできたらOKくらいの気持ちでいる。
・デイサービスへ出かけている間、しっかりと仕事をする(当然です)。
・おおらかになるように努める。怒らないようにする。母の気持ちが穏やかになれるように・・・でも、つい頭にくることがあります。
でもよく考えたら、確かによく忘れるし、時には作話もあるけど、薬(抑肝散)のおかげで暴言や暴力もなくなったし、簡単ながらも料理や洗濯もできているし、徘徊やトイレ問題がまったくないから、楽な方だと思います。
世間の介護者から見れば、まだ私は介護そのものに、本格的に向き合っていないのではないでしょうか。
BPSD(周辺症状:もの忘れ以外の困った症状)が鎮まりつつある今、母に感謝しながら、仕事をしていきたいと思います。
小さな積み重ねが将来大きくものを言う、と肝に銘じて、日々働くつもりです。
個人事業主として、「家で働くことをテーマに」ブログを作りました。 お茶が好き、そして認知症を患う身内と暮らす、個人事業主です。 認知症の家族と暮らすブログ(こころも元気に。楽しくいきましょう!)もあります。こちらは、仕事抜きのものです。https://happy1222.hatenablog.com/ お気軽にお越しください。
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